『夢のリニア超特急』特設サイト
僕たちが「根を下ろす場所」
森田修史
僕も最初は他人事とたかをくくっていた。仮に工事が始まっても家の目の前をダンプが通るわけではなく、水が枯れるかもしれない谷は何個かむこうの山だったから。しかしたまたま空いていた夕方、JR東海の阿智村説明会があるというので行ってみたところ、撮影はダメ、質問は一人まとめて3個まで、しかも答えになっていない、用意された紋切り型の言葉を聞かされた後に再度発言することは許されない。質問しようと挙手する人がまだいても時間で終了。そして説明や回答の内容は、根拠のあいまいな理由で「問題ないと考えられます」、具体例を示さずに「適切に対応します」。誠意は微塵も感じられなかった。僕の目には、あの原発事故前から、そして事故の後でさえ、原発推進の学者や役人、電力会社が繰り返してきた「説明」がフラッシュバックした。そして直感した。これはこのままだとまずい。
それからリニアに関する本を購入したり、リニア新幹線沿線住民ネットワーク(沿線住民ネット)の作成したチラシや、リニア計画について詳細に調べているブログなどを読んでいくと、リニアは需要見込みもめちゃくちゃだし、採算がとれないことは社長も明言している上、パブリックコメントでは大多数が反対だったのに何故か強行しようとしていると知った。南アルプスに関して第一人者の地質学者も日本科学者会議も懸念と反対を表明していても速度と工期が優先。しかし、世界最速と言っても地下深くのホームのため乗り換えが不便で、改札から改札までの時間で計算すると新幹線や在来線特急と大して変わらないという。そんなことのためだけに南アルプスの大切な原生の森林を破壊し、日本最大の水がめ地帯の水を枯らそうとしている? なんでだろうと思った。日本に住むみなが幸せになるために、迷惑や悲しい気持ちをがまんする、それならばひょっとしたら少しは救われるのかもしれない。でも、もとから必要ないものをデータをずるくいじって必要だと言い張ってるもの、採算がとれないとわかっている事業、たかだか数十分早く移動したいためだけに、国全体での議論もまったくなされないまま、私たちみなの宝物であるこれだけの自然の恵みを破し、たくさんの人が泣く意味があるのだろうか?
JR の説明会でも村の社教研の勉強会でも、村民からでる意見の多くは、ダンプをよその道に通してくれないかといったもので、直接の迷惑を自分達が被らなければ良いというものだった。これは自分もよくわかる気持ちだ。しかしある人が言った「自分の前さえダンプが通らなければいいのか」という言葉にはっとさせられる。そしてリニアの建設自体は避けられないという諦めのムードにみなも、自分も、支配されていたことに気づく。
勉強会で知り合った飯田リニアを考える会の方々に誘われて数日後、中津川で開かれた、沿線住民ネットの会合に参加した。そこに集まった方々は、腹の底からリニアを止めようと、みなのためにならない理不尽な事業を止めるために自分達にできることはすべてしようと決意されていることが伝わってきて、自分のなかで何かが変わった。
腹をくくって本気で諦めない人がそこにいると、まわりに勇気を与えてくれる。今度は自分がそんな存在になろうと決めて、気がついたらこのCDを作っていた。できるだけ多くの人に知らせたいと沿線予定各地、東京、神奈川、山梨、長野、岐阜、愛知の様々なアーティストたちに制作を協力してもらうなかで思わぬ方向に作品自体が成長し、なんと10曲のコンピレーションになった。
2曲目の「ふるさと」は、南信州豊丘村で育ち、リニア計画のためにやむなく住処を立ち退かざるをえなかった録音時弱冠15 歳のシンガーソングライター井上双葉の初録音となる。そんな機会に立ち会えたことを有り難く思います。すでに10曲ほどを作り、心からストレートに発する彼の歌はどれも素晴らしい。
そして弱冠と言えば、1 曲目で見事なコーラスを聞かせてくれる森下大河は、斜坑予定地近くの清内路小学校に通う11歳。自然の中で子供を育てたいと各地から集まる親子達の声をよく聞けば、リニアで定住促進というフレーズの空虚さと、人々が本当に求めるものに気づくことができる。
8曲目の「みんなの海」は、2011年の2月、中国電力が山口県の上関で原発建設を強行しようとした際に必死に抵抗した祝島の人達と、それに呼応して海を守った有志のカヌー隊に捧げて作った歌ですが、作っている最中に311が起き、3番の歌詞は原発収束作業に身を挺した( 挺する) 人々に捧げるものとなりました。しかし今、この歌を辺野古で海を守るために身を賭している勇者たちに捧げたいと思います。それくらいでしか応援することのできていない自分を本当に申し訳なく思います。
9曲目の「Natural Farmer's Song 〜自然農のウタ〜」は、自分が阿智に移住した初年度から毎年秋にみょうが収穫を手伝いに来てくれている松谷冬太が畑で収穫しているときに降りて来た曲で、彼が南信州に来た時には必ず演奏するテーマソングのような存在になっています。
その他、今回沿線予定各地を訪れるなかで交流することのできた素晴らしいアーティスト達は、自然の中での地に足をつけた暮らしから生まれてくる感覚が、都会での競争の中で磨かれる感覚以上に現実的な力を持つこともあるのだと教えてくれる。まだこの国の社会のなかで表に出てこなくても、新しい時代の静かでも大きな潮流が各地に着実に生まれていることを知らせてくれる。いつかまかれた種は芽を出しているし、舟はすでにこぎ出されていることを実感した。
リニアの問題は、僕たちが「根を下ろす場所」を問う。そしてそれについて話し合ういい機会をくれる。そして競争より協力、お金より自然、物より命、今の快適さよりも子供の未来を大切にする、各地の同じ思いを持つ仲間とつながっていくことができる。またこの問題だけでなく、この国のその他にもたくさんある大問題達を考える手がかりにもつながっていき、みなで解決して幸せな未来を作っていくためのきっかけにすることができる。この作品がその一助となれば幸いです。
これから大変なことがたくさんあると思いますが、皆で乗り越えていきたいと思います。
「まっすぐ まぁるく」
久保田雄大
—正月の大鹿村。冬の南アルプスに逢いに、雪の上を歩いた。夕立神展望台まで行くと、目の前に小河内谷を見渡せる。高く青い空と真っ白な谷。日本列島に残された本当の野生。冬の太陽にシラビソとトウヒの森が輝き、ミズナラとブナの森がじっと春を待っている。この景色のなかに何頭のクマが眠っているのだろう。一羽のクマタカがすーっと谷の奥から現れ、僕たちの頭の上をひとまわりして帰っていった。伊那谷の生命の源泉の森がここにある。この谷に、定規で書いたようにまっすぐリニアトンネルを掘るなんて、嘘のようにしか思えなかった—。
音楽家たちがつながり、調和し、環になって、あっという間に1 枚のCD がつくられていった。森田君のラップは、誰だって表現ができることを思い出させてくれた。ありのままの想いのたどたどしいラップ、そこに大地の鼓動のようなリズム、風のような笛の調べ、深淵な時を刻む弦の響きが重なる。描く、書く、カタチにする人と、そんな仲間をつなげる人、さらにもりあげる人々。最近の伊那谷では、共創的なものづくりがあちこちではじまり、まるでたくさんの生き物が共生する森のようになってきている。小さな地域コミュニティのように見え、しかし深みと広がりを含んだ伊那谷というひとつの森。一人ひとりが持っているどうしようもなく個性的な色や形をした葉っぱたちは、時を経てだんだんと土の中で発酵し、菌糸が広がり温かな熱を帯びて、文化の土壌は豊かになってきている。さらに色んな人を受け入れる土が育つ。僕たち自身がこの場に根をおろし、森になって、調和と多様性の実践をいま生きている。
リニアを動かしているのは、その逆、その名の通り直線的な生き方だと感じてしまう。より速くより競争力のある国を目指して都市と都市と高速で結びつける、という発想に地方をまきこんでいく。その主要な原動力のひとつは、建設予算5 兆円がピラミッド式に分配されていくことだ。国と企業が結びつき、法律が決まり、県や自治体、JR社員や施工業者が従う。経済が拡大しつづけたほんの20年ほど前まで、その成長を約束されたピラミッドのなかで階段を上がっていくことは、みんなが共感できる幸せの価値だったかもしれない。今は若いほどその枠からあぶれ、別の生き方をしていくモデルが確かにある。多様な供給源のなかで暮らしを成り立たせ、自分なりの幸せを感じていく生き方。個性を活かし自立した人々が支え合う、バランスのとれた生き方を若い世代は模索している。日本社会のメインストリームが「成長」から「成熟」へと変化していることを感じることができる。
直線と円環。この2つの生き方のバランスを、人類は歴史のはじめのころから、陰と陽のようにとりつづけてきた。いま、伊那谷にもちこまれたリニア—直線的なもの—に対し、若 い世代ほど、そして自給的な暮らしを生きてきた古老であるほど、強く違和感を示している。背景には、こういった、ある意味では歓迎すべき価値観の変化が、リニアがトンネルを掘っていくような地方から、そしてこの伊那谷でもゆっくりと確かに、湧き広がっているからだと考えるのは、どうだろうか。
魅力ある地方を創っていこうと考えている人たちはたくさんいて、対立する立場のようでも案外同じ想いから行動しているのかもしれない。賛成の立場をとっている人ほど、リニアを機に生まれつつあるこの若いムーブメントに注目してほしい。論じ合い、和合していきたい。YES or NO で壁をつくるのではなく、YES and NO の矛盾する自分を認めてしまおう。ひとつの大地に生きる人々が2つに分けられてしまうことほど、人間にとってつらいことはないのだから。
伊那谷の、日本列島の、美しい山や川、その風景にこめられた「心」を次世代に伝えていくために、いま本当に必要なのは、コミュニケーションなんだと思う。「一人ひとりが結び目となる」こと。僕たちが真の意味で現実に目を向け、その上で森のように、たくさんの人とつながっていくほど、リニアは夢の彼方に遠ざかっていくのだろう。自分なりのやり方でいい。調和と多様性のバイブレーションで、何度でも歌おう、何度でも話そう、何度でも描こう。
このCD が、たくさんの人のこころをつないでいくことを願って。